- 宗像
- で、そんなことをしてるうちにひょんなことから後にキティ・ミュージックを設立する多賀(英典)さんとフランスで知り合うんだよ。彼は当時、ポリドールの社員ディレクターで、井上陽水や小椋佳なんかのミリオンセラーを連発していた時だったんです。
- へぇ。
- 宗像
- その時多賀さんは独立を考えていたんだよね。それで「あなたが日本に帰ってきたらうちの会社に入らないか?」って言われたんだよ。
- いきなり気に入られたんですね。
- 宗像
- 彼が言うにはこれからの音楽業界は横文字ができないとダメだと。それで声をかけてもらったんだけど、こっちは聞き流すというか、音楽が仕事になるなんて夢にも思わないからさ。でもフランスではすでに子どもがいたんだよね。
- あら。
- 宗像
- 一人目は女房もいったん日本に帰って産んでまた戻ってきたんだけど、 多賀さんと会う前後に二人目ができちゃったんだよ。で、女房もこのままフランスにいても将来の展望が見えないってことで日本に帰りたいって言い出したんだよ。
- でも宗像さん、どっちか言うたら奥さんのほうが強くフランス行きを希望したんでしょ? それは奥さんはちょっと勝手なのでは?(笑)。
- 宗像
- わはははは!そうだよ!今日家に帰ってそれ言わなきゃ(笑)。
- ぜひ(笑)。
- 宗像
- それで日本に帰ってもなんのあてもないからさ、多賀さんの言葉を思い出して、立ち上げて間もないキティ・ミュージックに遊びにいったら、「明日からおいでよ」って話になってさ。
- へぇ。
- 宗像
- 2DKのマンションみたいなところで7、8人若いのがわーわーやっててね。デビュー前の来生たかおが学生アルバイトで電話番やってたかな。そこで多賀さんに井上陽水とか小椋佳とかを聴かされてね。でも、正直言って、なにがいいんだかわからなかったんだな。
- あー、もともと日本の音楽にハマったこともないわけですもんね。
- 宗像
- 全然聴いてなかったから物凄く違和感があってさ。もちろん、あとでその素晴らしさは理解できるようになったんだけど。で、キティに入ることになってね。いきなり取 締役国際部長ってのにされてさ。
- すげー!
- 宗像
- 多賀さんは海外でレコーディングやりたいってのがあったのね、とにかく。キティは物凄く儲かってたから、多賀さんも、ギターはL.A.のこういう奴でやりたい、ドラムはN.Y.のこいつを使いたいみたいのが凄くあったわけ。だから俺なんか一年の半分くらいは海外にいたよ。
- へぇ。
- 宗像
- 当時なんか海外に行くのなんか夢のような話じゃないですか。
- 70年代ですよね。そりゃそうでしょう。
- 宗像
- 一番長かったのはカルメン・マキ&OZ。3ヶ月半かな。多賀さんがさ、「お前らロックだロックだって言っても、ロックの本場のイギリスとかアメリカに行ったこともねぇだろ。俺が金出すからロスに行ってこい!」って言うからさ。メンバーのガールフレンドも全員連れてってね。
- 太っ腹ですねぇ。
- 宗像
- スタッフ入れて総勢15人くらいでモーテル泊まって合宿だよ。
- でも宗像さんはきっと大変ですよね。
- 宗像
- もうみんなはしゃいじゃってさ。スーパー連れて行って、楽器屋連れて行って、そんでまた……(以下自粛)。
- わはははは!
- 宗像
- もうみんなしょうがねぇんだ(笑)。リハーサル室押さえてもろくにリハやんないし。でもどうにかできたんだけど、掛かったお金が当時3000万円。
- 3000万!
- 宗像
- いまなら一億円だよね、一億円。
- そんなのリクープするもんなんですか?
- 宗像
- してたんじゃない?そのアルバム(『閉ざされた町』)はよく売れてたし、会社としても小椋佳のライヴの2枚組なんか100万枚売れてたしさ。
- 夢ありますねぇ!!!
- 宗像
- だから平気なんだよね。俺はそんなんで、海外行って通訳してブッキングして契約書を作ってってことをやってたんだよ。その中の一枚が深町純さんの『ディラックの海』。
- やっと出てきましたね、3枚目(笑)。
- 宗像
- 深町純さんはポリドールでシンガーソングライターとしてデビューしてたんだけど、知る人ぞ知る存在だったんだよね。彼は東京芸大の作曲科の首席だったんだけど、彼も卒業式の10日前に、「卒業証書になんの意味もない」って大学を辞めてるんだよね。しょうがねぇなぁ(笑)。
- でも凄い人だったんですね。
- 宗像
- 天才だね。学生の頃からスタジオミュージシャンとか劇団四季の『ジーザス・クライスト・スーパースター』の編曲なんかのアルバイトをしてたんだけど、当時、芸大でバイトすると即退学だったそうだよ。でも深町はしょうがない、あいつを退学にはできないっていうことになったんだって。ちなみにそれが前例になったりして、後輩の坂本龍一さんが真似をして芸大時代からバイトしてたって聞いたよ。
- へぇ(笑)。
- 宗像
- 彼はシンセサイザーなんかもいち早く取り入れてたんだけど、やっぱり海外の一流ミュージシャンとやりたいって言ってて。だからドラムはスティーブ・ガッド、ベースはアンソニー・ジャクソンとかね、世界最強のミュージシャンを集めたの。
- へぇ。
- 宗像
- で、表題曲の「The Sea of Dirac」は深町が海外のミュージシャンに突きつけた果たし状だよね。
- 果たし状!
- 宗像
- 海外の一流ミュージシャンに対して、「お前たちに俺が作ったこの曲を演奏できるのか?」ってことだよね。俺はその緊張感のなかにいたからね。だから一流の人たちのミュージシャンシップというかプロフェッショナリズムっていうのを間近に見て、音楽を作るということはこういうものなんだと思った。77年のことだけどね……。
- まだいまより洋楽信仰や洋楽コンプレックスがあった時代ですよね。
- 宗像
- 深町にはそれだけの自負があったんだろうね。で、譜面を用意したんだけど2メートルくらいの長さでさ。とにかく難しい。あのスティーブ・ガッドがなかなか叩けない。途中でボーヤにブランデーのボトルを買ってこさせてさ。ぐいぐいラッパ飲みしちゃって。
- 豪快な気分転換ですねぇ(笑)。
- 宗像
- その日は6時間かけてもできなくってさ。「今日は申し訳なかった。明日のスタジオ代は俺が払うからもう一度やらせてくれ」って言ってね。で、次の日はビシッと決めてね!
- 凄い!
- 宗像
- 深町は2010年に亡くなったんだけど、本人にとっては当時のことはいい思い出だったみたいよ。本当に言葉を超えて通じるものがあったっていうことでね。自分の音楽を世界の一流のミュージシャンが面白がってくれたというのは相当自信になったみたい。そういえば、ベースのアンソニー・ジャクソンが上原ひろみさんのバックで2011年に来日したんだけど、彼も当時のセッションは凄く覚えているって言ってた。『ディラックの海』の譜面を「これから会うチック・コリアに見せるんだ」と言って持って帰ったくらいだからね。
- へぇ。
- 宗像
- 「もうあんなセッションは不可能だ。フカマチみたいなミュージシャンも出てこないし、あんなレコードにお金を出すレコード会社もないし、N.Y.にこんな録音ができるスタジオもなくなったし……」ってね。
- うーん、ちゃんと聴きこまないとダメですね、これは。
- さて、いよいよRCですよ! 宗像さんといえばRC!
- 宗像
- 1979年の夏だと思うけど、会社でうちのディレクターがカセットかけていたのね。で、なんかすげぇぞこれと思って、そいつに「これ、なに?」って聞いたらRCサクセションっていうバンドだって教えてもらってね。
- キターッ!
- 宗像
- その時点でキティでは「ステップ!」って曲でリリースしてるんだよね。
- フォーク路線からロックバンド路線に変わった時ですよね。
- 宗像
- ちなみにそのディレクターが森川だったの。
- スキマスイッチらを擁する、オフィスオーガスタ社長の森川欣信さんですね。
- 宗像
- それでライヴに連れて行ってもらったんだけどね、渋谷の屋根裏に。
- 伝説のライヴハウスですね。
- 宗像
- お客はまだ30人くらいかなぁ?「よォーこそ!」で始まって「指輪をはめたい」で終わるという2時間半。もう鳥肌立ちっぱなし!脇の下汗流れまくり!初めて聴く曲なのに、彼の歌詞がぜーんぶわかるの!
- おー、その時の興奮が蘇ってますよ、宗像さん!(笑)。
- 宗像
- (さらに熱くなって)そしてその歌の情景も、俺なりにすべてイメージできる!「これはえらいことだなぁ!」って。
- とんでもないものを観てしまったって感じですね。
- 宗像
- それで次の日、多賀さんのところに行って、「取締役国際部長を置いといて、RC担当にしてください!」って直談判したのよ(笑)。
- わはははは!最高です!
- 宗像
- もうそれから気が狂ったようにRC一色!
- まぁその勢いならそうでしょうねぇ(笑)。
- 宗像
- で、その前に『シングル・マン』がリリースされてたんだけど、その中の一曲、「スローバラード」のシングルが会社に山積みだったんだよ。

-
Disc 04
『シングルマン』
RCサクセション
Amazon
- 「スローバラード」は最初は売れなかったんですよね?
- 宗像
- でも実はちゃんとプロモーションしたんだよ。ラジオスポットを当時2千万で買ってたから。
- あ、そうなんですか!?
- 宗像
- 凄いだろ?
- まったく宣伝されなかったと思っていたので。へぇ、ビックリしました。
- 宗像
- いまの5~6千万だね。でも全然かすりもしない。せいぜい1500枚とか2000枚しか売れなかったんじゃないかな?
- はぁ。
- 宗像
- ただ、本当かどうか知らないけど、当時、あまりにスポットが流れていたので、ラジオDJが「じゃあ番組でかけなくていいじゃん」って言ってたらしいけどね(笑)。
- へぇ(笑)。
- 宗像
- まぁ早すぎたんだろうね。声の質感といい、曲調といい。あんな曲、シングルなんて絶対になかったもん。
- 確かにそうですよね。
- 宗像
- で、「ステップ!」が出た後にさぁどうしようと思っていたところに吉見佑子が現れたのよ。
- 音楽評論家の吉見さんですね。
- 宗像
- ちなみに吉見はフォーク時代のRCから知ってるんだけどさ、ステージの清志郎のMCのことをよく喋ってた。矢沢永吉の前座で出た時も「みなさん、いま永ちゃんは楽屋でクソしてますよ」って言ってブーイングを浴びたりとか。
- だははは!それは有名な話ですけど、よく矢沢ファンの前でそんなこと言いますよね(笑)。
- 宗像
- あと、井上陽水の前座の時は、「みなさん喜んでください。これが僕らの最後の曲です」とか言ったりね。
- まぁ不遇の時代でひねくれていたんですね。
- 宗像
- 吉見はそんなのを観て、「この子たちはタダモノではない」と思ったらしい。それからちゃんとレコードも聴いてね。で、事務所に行ってみたら、「いまアルバムはない。前に出した『シングル・マン』はとっくに廃盤です」って言われたらしく、吉見は「あんな名盤が廃盤なんておかしい!」ってなってね。で、俺も『シングル・マン』聴いたんだけど、素晴らしいんだよ!(鼻息荒く)。
- あんなの、傑作中の傑作ですよ!(さらに鼻息荒く)。
- 宗像
- で、これはなんとかしなきゃいけないってなって、『シングル・マン再発実行委員会』というのを吉見がでっち上げて、俺が事務局長みたいなのになったの。
- それが新聞や雑誌を中心に社会的に注目されたんですよね。
- 宗像
- それで自主盤で最初に300枚プレスしたのが即完して、次から次へと再プレスするのも完売して、正式にレコード会社から再発されるようになったんだよね。その時のレコードの帯を書いたのが俺なんだよね。「こんな素晴らしいレコードを廃盤にして申しわけありません」って。
- 凄い!あれを書いたのは宗像さんやったんですか!最高のコピーですよ!!まず再発運動なんてことが前代未聞ですよね。でも後にがっつりRCに取り組む宗像さんが、今回選んだのが自分が制作に関わっていない『シングル・マン』というのは面白いですね。
- 宗像
- なんかちょっと人助けをできたかなって感じかな(笑)。
- でも宗像さんが売らないといけないのは「ステップ!」とか次のシングルの「雨あがりの夜空に」ですよね。
- 宗像
- 「雨あがり」も半年ぐらい全然売れなかったもんね。またマスコミが全然のってくれないんだよ。「あのRCでしょ?」って。
- あー、フォーク時代の一発屋でしょって感じなんですね。
- 宗像
- そう。俺も「こんなに素晴らしいものが売れないなんて、俺は頭がおかしいんじゃないか」って思っちゃってね(笑)。
- わははは!でもその気持ちはわかります(笑)。
- 宗像
- あ、そうそう、それで俺ね、「RCの音楽は大人ではわからない。少年の心で聴かないと理解できない」って思い込んじゃってさ、RCの音楽を使った、こどもミュージカルを作ってもらおうと企てたのよ(笑)。
- ちょっと待って下さいよ!そんなRC秘話、初めて聞きました!(笑)。
- 宗像
- 当時、『上海バンスキング』を自由劇場でやってて、それを観て俺はいたく感激してさ。飛び込みで演出の串田和美さんに会いに行ったの。
- 飛び込み!(笑)。
- 宗像
- RCの音楽を使って、そんな子どものためのミュージカルをやってくれって。そしたら串田さんが「宗像さん、こどもの集中力は15分が限界です。2時間半にも及ぶようなミュージカ ルは僕は作れません」って断られちゃってさ(笑)。
- わははは!そりゃしょうがないです(笑)。
- 宗像
- あとさ、清志郎を初めて観た時、「これは出雲阿国(歌舞伎の創始者と言われる安土桃山時代の女性芸能者)だ!」と思ったのね。彼女は当時、革命的な異端児だったんだろうね。それで「清志郎のやってることはまさにこれだ!」っつってね。メイクもそうだし。それで次のRCのレコードのジャケットは清志郎の浮世絵にしよ うって、浮世絵師を色々探したよ(笑)。
- 浮世絵ジャケット!斬新過ぎますよ!(笑)。
- 宗像
- RCに出会ったことで完全に躁状態なのよ!だからアイディアは次から次へと湧き出るんだけど、全然脈絡がないのよ(笑)。
- でも地道な活動もされてたんでしょ?
- 宗像
- そりゃやりましたよ。俺があまりにライヴに誘うから、辟易としてたみたいよ。俺、当時軍隊コートみたいのを着てたんだけど、それで肩で風切って現れて、ばーっとRCの魅力をアジって、みんなそれで去っていくという(笑)。
- みんなに嫌がられてたんですね(笑)。
- 宗像
- やっぱりRCの魅力はライヴだからさ。でもなかなか関係者に会場に足を運んでもらえないからさ、ライヴの映像を編集して、ビデオデッキ担いで、森川と一緒に日本中のラジオ局なんかを行脚してたね。当時、ビデオデッキ自体がなかなかなかったからさ。いやぁよくやったと思うよ(笑)。
- 草の根運動ですね(笑)。忌野清志郎と宗像さんはどんな関係だったんですか?
- 宗像
- まぁ一生懸命やってるなって思われてたんじゃないの?いっぱい取材も取ってきたし、『ロッキンオン』の渋谷陽一を連れてきたのも俺だし。取材は全部立ち会ってたかな。まぁ信頼されてたんじゃないの?
- どんな会話をしてたんですか?
- 宗像
- 覚えているのは、だんだん親しくなって、食事とか行くようになって、清志郎に「レコードが売れて、お金が入ってきたらなにが欲しい?」って聞いたのね。そしたら彼、クルマ大好きじゃない?
- 自転車の前はクルマにハマってましたからね、清志郎。
- 宗像
- 「モーリスのミニクーパーが欲しい」って言ってね。いくらって聞いたら「200万」って。「よし、わかった! ミニクーパーがキャッシュで買えるようになるまで、俺、頑張るから」って。でもいま考えたらたかだか200万なんだよね(笑)。
- その後の売れ方を考えたら、清志郎もすぐに買えたでしょうね(笑)。
- 宗像
- それが俺のモチベーションだったな。でも、間違いなく売れると思っていたし、彼らが売れれば日本の音楽も、日本も少しはマシになるだろうと信じこんでいたんだよね。
- うわぁ、ロマンチックな話やなぁ。
- 宗像
- ほんとそうだよね。とにかく彼らの音楽が好きだったんだよね。ライヴも行ける時は 必ず行ってたよ。毎回行ってても飽きないんだもん。ああいうアーティストに会えたっていうことはラッキーだったよね。
- 素晴らしいですよ。
- 宗像
- いい時代だったね。
- ちなみに宗像さんが一番好きなRCサクセションの曲って……。
- 宗像
- (食い気味で)「ダーリンミシン」!
- へぇ!
- 宗像
- 他にも好きな曲はたくさんあるんだけど、なぜかこの曲が胸に来るんだよね。歌詞に出てくる二人の関係っていうの?
- 同棲しているカップルの、年末の他愛のない風景なんですよね。で、軽快なビートに乗ってて。
- 宗像
- きっと女の子が洋裁の学校にでも通っててね。しょうがないバンドマンの男が転がり込んできてるんだよね、俺が想像するに。それが全部映像でイメージできるのよ!
- で、彼女がミシンで彼氏のズボンを作っているという。「僕のお正月の赤いコール天のズボンが出来上がる」って歌われてますけど、だいたい日本のロックの歌詞で、「お正月」も「赤いコール天のズボン」も出てこないと思うんですよね。
- 宗像
- 天才だよね。原くんはどの曲が好きなの?
- うーん、多すぎて難しいですけど、宗像さんの挙げられた『シングル・マン』の中の「ヒッピーに捧ぐ」ですかねぇ。学生の頃聴いて、ボロボロ泣いて、「あ、音楽で泣けるんや」って初めて知りました。
- 宗像
- わかるねぇ、その感じ!