#01
宗像和男さん

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宗像
あがた森魚と知り合ったのは1980年ぐらいなんですよ。それまで日本の音楽は全然聴いてなかったから。もちろん『赤色エレジー』ぐらいのタイトルは知ってたけど、音は聴いたことがなくて。で、あがたと知り合って「おもしろそうなヤツだな」と思って、いろいろと話をしてたら、「この前、RC(サクセション)を観に行ったんだけど、(忌野)清志郎がMCで『愛し合ってるか~い!?』って言うじゃないですか?」って。
清志郎の定番のMCですよね。
宗像
その時、あがたが言うにはね、「『あがた! お前、ちゃんと音楽やってんのかよ!?』って言ってるように聞こえたんですよ」って。
ほぉ~。
宗像
確かに、その頃のあがたは低迷してて何もやってなかったみたいな状況だったのね。これ(『永遠の遠国』)の7年ぐらい前かな? 1970年代中頃には『噫無情』だとか『乙女の儚夢』とかいろいろ出してたんだけど、そのあと彼は何を思い立ったか自主盤を出すんだよね。それも3枚組の自主盤(笑)。

Disc 05

『永遠の遠国』
あがた森魚

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わははは。無茶苦茶ですよ!
宗像
二十世紀を締めくくるようなイメージで。で、ちゃんとした本や、おもちゃなんかもつけたりして。要するに、あがたワールドみたいなモノを自分で作るような感じで。レコード会社では企画が通らないだろうから。
まあ、そうなりますよね。
宗像
「じゃあ、自主盤でやるしかない」となって。で、最初に自分のファンから先にお金を集めたわけ。
ファンド形式で(笑)。
宗像
そうそう(笑)。それも2万5000円。当時の2万5000円っていったら、たぶんいまの7~8万じゃないかな?
でしょうねぇ。
宗像
それでも出すっていう人が500人ぐらいいたらしいんだよ。
へぇ~、それは凄い!
宗像
で、レコーディングが始まったけど結局できあがる前にお金がショートしてしまったらしく(笑)。
ダハハハハ!
宗像
それで6~7年出せないでいると。俺はあがた森魚と彼のバンド(ヴァージンVS)をすっかり気に入っていたから、彼らのレコードをうちのキティで出そうってことになってね。ただ「そんな詐欺みたいなことやったままで次のことできないよね」ってなって。
確かに。
宗像
「なんとかしなきゃいけないよね」ってことで、「どれぐらい借金あるの?」って聞いたら、スタジオに700万ほど未払金があると。それでテープを差し押さえされてるっていうのね(笑)。
テープの差し押さえ!(笑)。
宗像
で、多賀さんに話しに行ったら多賀さんもあがたの才能を買ってたから、「お金出してやればいいじゃない」って言われて、700万円をキティが出してテープを取り戻したんです。で、ほぼ3枚分できあがってたんだけど、あがたがそれを聴き直して「これ7年前のヤツなんだけど、いまの自分はちょっと気持ちが変わってるんで、あと一枚新たに作りたい」ってなってね(笑)。
懲りない人だ(笑)。
宗像
そうだろうなって。で、伊豆のスタジオに、あがたとキーボードのヤツを缶詰にして、最後の一枚を作り直したんだよね。それで見事完成して。「皆さん、お待たせしました」ってことで、500人とかお金を払ってくれてた人に送りつけたの。
ファンの方もビックリしたでしょうね。6~7年も経ってアルバムが送られてきたら(笑)。
宗像
送っても住所が変わったりで返って来たのもいっぱいあったけどね(笑)。そんなことがありながら、新聞とかでちょっとパブリシティやったり、ライブやったりして、結局1500セットぐらい売れたんですよ。それで充分リクープしたんだけどね。1セット2万5000円だからさ(笑)。
元は取れた、と(笑)。
宗像
そうだね。自分がやってきた仕事の中でも、「やってよかった」ってホントに思う一つなんだよね(笑)。あがたが身動きできるようにしてあげて、欲しかった人にも届けられたっていう。人助けができたかなっていうね(笑)。
ダハハハハ!
宗像
もちろん、それだけじゃなくて、ちゃんと素晴らしい曲も何曲もあるんだけどね。
ですよね。
宗像
俺はあがたの曲をはじめて聞いた時に、彼の歌ってる世界がさ、全部ビジュアライズできたっていうか。清志郎と同じぐらいの感覚を感じたのね。詩人としての才能、ボーカリストとしての才能とか。まあ、音は平気で外すんだけど(笑)、それでも圧倒的に伝わるモノがあって、それは凄いなぁと思って。
僕は取材のためにこのアルバムを聴いてみたのですが、正直一回では噛み砕けなかったんですよ。ただやっぱり、聴いてて「これは俺、けっこう好きやな」っていうのは自分で感じましたね。
宗像
そうなんだ。まあ、3枚組だからさ、それこそどうでもいいような曲もあるからね(笑)。
どうでもいいような曲(笑)。
宗像
でも、本人にとっては、当時の自分自身のすべてみたいな感じだったから。それこそ「いとしの第六惑星」とか「春の嵐の夜の手品師」とか「象ねずみの校庭」なんかは傑作だからね。
宗像
浜田真理子さんとの出会いっていうのは、自分が1998年にBMG音楽出版の代表をやることになって、新人をみつけていかなければいけないってなったの。要するに、これからはインディーズの時代だと。
はい。
宗像
で、よくライブハウスとかに足を踏み入れるようになったり、人から情報をもらって、いろんな音楽を聴くようになったんだけど、そのうちの一人が浜田真理子だったんですよ。
失礼ながらなんですけど、僕は今回初めて浜田さんのお名前を知りまして、最初は「学園祭の女王と呼ばれた浜田麻里かな?」とか思ったんですけど(笑)。
宗像
あ、そうだったんだ(笑)。
初めて聴いたんですけど、なんかこのアルバムは洋楽みたいですよね?英語の発音も素晴らしいですし。

Disc 06

『MARIKO』
浜田真理子

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宗像
そうでしょ。
このクオリティは凄いなぁと思いましたね。
宗像
凄いですよ。でね、彼女の存在を知った頃は松江在住のシングルマザーで、月~金は普通にOLとして働いてる人だったの。
そうだったんですか。
宗像
それが『情熱大陸』で取り上げられて、一気に認知度が高まったんだよね。
実際聴いてみて、どうだったんですか?
宗像
いや、やっぱり「これは凄い」と思って。どうしても生で見てみたいと思って、彼女の歌詞に出てくる松江のお店を調べたりしてね。まだ当時は俺、そんなにネットの使い方もわからなかったから、104でお店の電話番号とか調べてさ。そこから本人に会って話したりして。
で、いつものごとく宗像さんは気に入ったアーティストにのめり込んじゃうんですね(笑)。
宗像
そう(笑)。いろんな人に勧めたりもしたんだけど、井上陽水や小泉今日子さん、宮沢りえさんなんかも素晴らしいって言ってくれて、ライヴにも来てくれて。
へぇ~、それは凄いですね。
宗像
俺はどうしても、彼女の歌を久世光彦さんの番組で使ってほしいなと思って、実際に動いたりもしたんだけど、残念ながら実現する前に久世さんが亡くなってしまったんだよね。それは残念だったんだけど、『マイ・ラスト・ソング』っていう久世さんの「あなたは死ぬ前にどんな曲を聴きますか」というテーマのエッセイを小泉今日子さんが朗読するという企画ライヴで、浜田真理子はピアノの弾き語りをしてるんだよね。もう何回かやってるんだけど。
それは是非観てみたいですねぇ。
宗像
ホントに素晴らしいんですよ。でも、なんだろね? いろんなシンガーソングライターがいるけれど、なんやかんやで、ここで名前を挙げた清志郎、あがた、浜田さん、横山剣、チャボ。この人たちは自分にとってモノ凄く特別なもんだな……っていうか、話してて思ったんだけど、それ以外の人、あんまり聴いたことないんだよね(笑)。
ダハハハハ!
宗像
聴いてみたら「あ、いい!」っていうのはたくさんあるんだろうけど、そんな時間も気持ちの余裕もないし、まあ知らなくてもOKみたいな(笑)。今日挙げた人や、8人に入れられなかったあと何人かを知ってれば充分みたいな。そんな心持ちですね。
宗像さん、最高です(笑)。

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