- 夏子
- 夏子の1枚目は“工藤静香”さんの「慟哭」です。
- ヒロト
- あははは!(笑)
- 夏子
- だってヒロトさんが、そんなかっこいいの選んでくると思わんかってんもん。
- ヒロト
- いや、いいと思いますよ!!
- 夏子
- 夏子もルーツの話なんですよ。夏子は2歳の頃からピアノを始めたんです。もうそれこそ言葉もまだ喋れないくらいの時からピアノ教室入れられて。ていうのも、お母さんが自分がやりたかったのに出来なかったこととか憧れてたことを娘に押し付けるっていうお母さんで(笑)。(お母さんは)子供の頃、ピアノ習いたかったけど習えなかったんですよね、だから、じゃあ娘にやらせるかってことで。そんなお母さんの影響で当時1番聴いてたのが工藤静香さんで。
- ヒロト
- そうやんね、さっきの話にちょっと戻すと、俺1984~86が高校生って言ってたでしょ?この頃に、おニャン子クラブが出てきて、俺もおニャン子世代やから、ガッツリ!ちなみに俺は新田恵利(ファン)やったけど。
- 夏子
- 知らんわ(笑)!てか、工藤静香さんっておニャン子クラブなんですか?
- ヒロト
- そうよ、おニャン子クラブ。
- 夏子
- って感じなんですよ。夏子からしたら(世代じゃない)。
- ヒロト
- 工藤静香さんは割と後の方。AKBで言ったら3期とか4期生くらいの。でもすごい人気やったよ。
- 夏子
- 工藤静香さんってアイドルなんですね。っていう感じなんですけど。最初からソロでやってるっていうイメージだし。
- ヒロト
- うん。で、(工藤静香さん)歌上手いやん。で、思うねんけど、俺が中学ぐらいの時って松田聖子さんとかが人気あったんだけど、松田聖子さんもくくりで言ったらアイドルなんですよね。(当時のアイドルは)みんな歌上手い。中森明菜さんもそうだし、そっから後のおニャン子なんかも・・・おニャン子はまあ全員が上手かったわけじゃないですけど、そんな中から工藤静香さんとか歌上手い人はいったよね、ソロで。
- 夏子
- そう、だからソロになってからの曲をいつも聴いてて。「慟哭」も聴いてて。で、幼稚園の頃からよく家で歌わされてたんですよ、階段の踊り場で。お母さんが「夏子のショーが始まるよ!はいみんな集まって」みたいな。幼稚園なのに「抱いてくれたらいいのに~♪」とか、「避けられてるかも~♪」とか。大人びた歌詞なんだけど意味も分からずに歌わされてて。でも、歌うのが楽しいって知ったのはそれがキッカケかな?それでこの仕事についてから自分の音楽のルーツとか話す時、「あぁ、工藤静香さん小さい頃よく聴いてたな」って思って、改めて「慟哭」の歌詞を読んだら、メッチャ響くというか。すごい名曲やなって!その当時は何も知らずに歌ってたけど、メッチャ名曲。作詞作曲見たら作曲・後藤次利さんだし、作詞・中島みゆきさんやし。

- ヒロト
- へぇ~作詞、中島みゆきさんだったんだ!!
- 夏子
- そうなんですよ!衝撃で。
- ヒロト
- ちなみに後藤次利さんは、おニャン子の曲、おニャン子から出た人のソロ曲とか、ほぼ書いてる。秋元康さんと後藤次利さんはコンビやってん、おニャン子時代は。この2人が名曲をバンバン生み出した。
- 夏子
- そうだったんだ、私そんなこと知らなくて。改めて、この歳になってというか、デビューしてから「慟哭って後藤さん作曲で、中島さん作詞なんや」「この曲で自分育ったんや」っていうことをすごい誇りに思い、母に感謝しました。工藤静香で育ててくれてありがとうみたいな。だから未だに歌謡っぽいメロディがすごく好きです。
- ヒロト
- なるほどねえ。後藤さんのミニ情報でいくと、確か奥さんは河合その子だもんね、おニャン子の。ちなみに秋元さんはおニャン子の高井麻巳子と結婚した。
- 夏子
- 2人ともおニャン子の人と結婚したんだ?
- ヒロト
- たぶんそうだったんじゃないかな~。っておニャン子の話はいいや(笑)
- 夏子
- そう(笑)、おニャン子じゃない!工藤静香!!慟哭。私の1枚目です。この後も洋楽1枚も出てこないですけど。
- ヒロト
- 全然いいです。
- ヒロト
- 俺が選んだ4枚は、(自分の)ルーツになった洋楽から2枚、最近の邦楽から2枚、なんだけど。ルーツのもう1つが、またややこしい名前なんだけど“アレステッド・ディベロップメント”っていうヒップホップグループ。
- 夏子
- ヒップホップ聴いてたんですか?意外~。
- ヒロト
- 高校の時は、洋楽メッチャ聴いてたんだけど、実はジャンルはそんな詳しくないの。
例えばへヴィ・メタルに強いとか、そういうの全然なくて。日本でいう、いわゆるオリコンみたいなアメリカのTOP10いつも聴いてたから、ヒット曲に強い、当時のね。その頃はさっき言ったみたいに、どの人がアメリカでどの人がイギリスの人かも分からなかったし。
で、その後大学生になって。その頃友達で、当時にしては早いんだけど、家にターンテーブル持ってる友達がおってん。浪人して2つぐらい年上の沖縄からきた奴。
- 夏子
- イケてんな~、家にターンテーブル(笑)
- ヒロト
- そう、お父さんが米軍基地の仕事手伝ってますみたいな感じの奴で。そいつが大学で沖縄から熊本に出て来てたの。1人暮らしの狭い部屋だったんだけど、ターンテーブルだけは大事に持って来てて。で、そいつの部屋のターンテーブルでヒップホップを聴かせてもらって、かっこいいなって思って、そこからヒップホップってものを気にするようになってんけど。
- 夏子
- お友達の影響がきっかけなんですね。
- ヒロト
- うん。その後1991年頃にアレステッド・ディベロップメントっていう世界を揺るがすヒップホップグループが出てきたんですよ。
- 夏子
- へぇ~、有名な人たちなんだ。
- ヒロト
- どんな人達かっていうと、オーガニックヒップホップっていう当時なんか謎の言葉、オーガニックなヒップホップっていう。
- 夏子
- オーガニックなヒップホップって何(笑)?
- ヒロト
- でしょ(笑)?でも、この人たちが出てきた時にオーガニックヒップホップっていう言葉が生まれたというか。今もずっと続いてるけど、ヒップホップにありがちな誰かをディスるとかそういう音楽じゃなくて、大地に、とか、神に、とかを歌う人達で、それがメッチャかっこよくて。当時23歳のスピーチっていう人がメインのラッパーで、生バンドやねん。スクラッチもするけど、基本、生バンド。メンバーは皆23から24・5歳なんだけど、1人60歳のババ・オージェっていうおじいさんがメンバーにいて(笑)。でも、そのおじいさんはいるだけやねん。
- 夏子
- え、どゆこと!?