#02
太田和彦さん

2/4

初めて買ったステレオでこのレコードに針を落とす時の興奮たるや相当なものだったんでしょうねぇ。
太田
そうそう!正座して聴いた。もう全部名曲!アレンジが見事!曲の入り方、転調の仕方、要するにアレンジャーの手腕が大きいよね。
それこそ、擦り切れるぐらいまで聴かれた感じですか?
太田
もう暗記してるね(きっぱり)。
ダハハハハハ!
太田
何かしながら聴くとかしない。とにかく集中して聴く。いまでも仕事終わって聴く時はステレオの前で集中して聴くからね。まあ、生来、戦後育ちで貧しかったからケチなんだよね。いまはCDも聴くけど、CDの時は途中でトイレに行きたくなったらかけっぱなしで行くんだけど、レコードは減るから、かけっぱなしでは行けないんだよね(笑)。
あ~~~、それは面白いですね。確かにレコードは針で削れちゃうんですもんね。
太田
物理的な意味でも、CDなんてもんはデータだから減ることはないけど、レコードは「トイレで大だとちょっと長くなるな」とか思ったら針を上げて行く。
ええ話やなぁ。今までそんなこと考えたこともなかったです。
太田
話を戻すけど、フォーシーズンズは白人だけどちょっとソウルなところもあったんで、だんだんソウルミュージックが好きになってさ。それからオーティス・レディングを聴くようになった。
続いて2枚目の『The Great Otis Redding Sings Soul Ballads』。僕もオーティス・レディングは好きです。

Disc 02

『The Great Otis Redding Sings Soul Ballads』
オーティス・レディング

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太田
歌の魅力に取りつかれたっていうのかな。プレスリーとは違う黒人ならではの表現力というのか。歌手がパーソナリティを持って、ソウル、魂を歌うのを聴いて、「深さがあるなぁ」と。
僕は忌野清志郎のフェイバリットがオーティス・レディングということで、それをきっかけに聴くようになったんですけど、きっとそういう人は多いと思いますよ。
太田
あ~、それはあるだろうね。
でも、オーティスなんて20代半ばで命を落としているんですから、残っている作品も20代のものですよね。聴くたびにいつも驚きます。
太田
そうなのよ。若いのに、あんな何十年もの人生経験が積み重なったように歌えるのは凄いもんだなぁって。音楽の持っている、プレスリーとは違う、魂の叫びというか。ソウルのレコードもたくさん買ったけど、オーティスは別格だね。
やっぱりそうですか。
太田
ソウルミュージックには楽しい要素もあって、そういうのも凄い好きなんだけど、オーティスは違うよね。気軽には聴けない。そういう意味では、このビリー・ホリディも同じだね。
ビリー・ホリディが出ましたね。3枚目は『Lady Day The Best Of Billie Holiday』と。

Disc 03

『Lady Day The Best Of Billie Holiday』
ビリー・ホリディ

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太田
聴くと粛然としちゃうんだ。心が弾むというよりは、むしろ沈んでいくというか。重さと叫びに堪えかねるというか。楽しい感じではない。
わかります。
太田
だから簡単にはなかなか聴けないんだ。たまに聴いても、トイレ行くから消すとかできない。「この歌の途中で俺はトイレに行っていいのか?」って自問自答しちゃう。わずか3分足らずなのに。
僕は全然詳しくないんですが、それでもビリー・ホリディの半生が壮絶だったことは知ってます。
太田
まぁ、そう言われてるんだけど、やはり歌手としての天才性ですよ。大きな苦労を背負ったから名歌手になれたわけではない。
確かに。
太田
だったら「苦労すれば誰でもいい歌手になれるのか」ってことになるし。
行きつくところ不幸自慢になっちゃいますもんね。
太田
音楽の才能とは関係のないことだから。ただね、その才能に人生の苦労が重なると、素晴らしいものができる。
そうですよね。まぁそのあたりは最後の清志郎のくだりでゆっくりと(笑)。
太田
そうだね(笑)。ただ、音楽のすばらしさはそれだけじゃない。ある時から僕はサンバがとても好きになってね。中南米音楽はもともと好きなんだけど、サンバを聴きだしたら、また鷲づかみでさ。“サンバの女王”ベッチ・カルヴァーリョはLPだけで10枚ある。
へぇ~。ベッチ・カルヴァーリョからは『SENTIMENTO BRASILEIRO』を挙げておられますね。

Disc 04

『SENTIMENTO BRASILEIRO』
Beth Carvalho

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太田
サンバのよさは楽天的なノリ。それ以外の何物でもない!サウダーヂ(郷愁、切なさ)っていう気分はあるけどね。メロディラインの美しさと哀愁、それから打楽器だけのサウンドでサンバにまさる音楽はないと僕は思っている。
へぇ~~~~。
太田
ただ、レコードを集めるにも、いかんせんポルトガル語がわからないし、体系的な本がないから何を買っていいかわからないんだよね。だから、たくさんある中から勇気を持って買ったりするんだけど、あまりハズレないね。

中南米は打率高いんや(笑)。
太田
中南米は打率高いよ(笑)。
野球選手みたいやなぁ(笑)。
太田
僕のiPodには1800曲ぐらい入ってるんだけど、たぶん3分の1は中南米モノかな。音楽には理屈を超えた楽しさがあるじゃない?
そうですね。
太田
そういう裸の音楽のよさの象徴がサンバかもしれないね。だから、いまでもだ~い好き。なんにも考えなくていいんだもん。
サンバを聴く時はどういう感じなんですか?
太田
こういう感じ(と言って、足を投げ出しリラックスモード)。
ダハハハハハ!
太田
顔はだらしなくなるしね(笑)。
続いて行きましょうか。次はキーリー・スミス『I Wish You Love』あたりですかね。

Disc 05

『I Wish You Love』
キーリー・スミス

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太田
アメリカ50年代の白人女性ジャズボーカルをずい分聴いたけれど、キーリー・スミスは最高。ビリー・ホリディとは真逆で、カラッと明るく歌い上げていく歌心の素晴らしさ。知らなくて軽い気持ちで買ったら凄くよくてね。で、次も買ったら「これもいい」「もっといい」ってドンドンよくなる。結局アメリカにも注文してすべてのCDを買いました、15枚。レコードも良いものは2枚ずつ持っている。美人だしね(笑)。
キーリー・スミスって初めて聴きましたけど、凄い気持ちいいですよね。
太田
その通りじゃ。
ここに来る前にも聴いてたんですけど、あんまり気持ちよくて会社で寝てしまいました。
太田
バカ(笑)。結局、僕が一番大事にして、いいなぁと思うのは、「歌」なんだよね。「音楽は歌だ」と思うようになった。当たり前だけど、歌は歌詞がある。その意味を引き出すのは、なんといっても歌心。うまい下手以上に大事なものだよね。キーリー・スミスは絶対のオススメです。
なるほど。続いてはWARの『all day music』ですか。キーリー・スミスに続いてこれも全然知りませんでした。

Disc 06

『all day music』
WAR

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太田
あ、そうなんだ。WARはブラックファンクの代表バンドだよね。年代は70年代かな。あの頃10人編成ぐらいでブラックなソウルミュージックが盛り上がっていた。バンド的に、複雑なビートを利かせたタイプのノリではピカイチ。だから、いまでもよく聴く。元気が出るね。
ファンクもよく聴かれるんですね。
太田
だいたい、なんでも聴くんだけども、このジャンルでは音楽的にはWARが一番だね。そういえばこの間、久しぶりにサンタナを聴いたのね。でも、つまらなかったねぇ……(しみじみと)。
あら、つまらなかったですか。
太田
歴史に耐えられなかったと思ったな。当時は凄く流行ったけども全然ダメだね。
そういう意味ではこのロイ・オービンソンは永遠の定番ですよね。ベスト盤の『The Essencial』を挙げてらっしゃいますが。

Disc 07

『The Essencial』
Roy Orbison

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太田
ロイ・オービンソンはヒット曲もあったでしょ?
「オー・プリティ・ウーマン」ですね。
太田
そうそう。
誰もが知る曲ですよね。
太田
ある時にこの2枚組ベストを見つけ「これはいいかもしれない」と思って買ったら、も~よくてよくて!僕にとっては大発見だったね。
僕も慌てて聴いたのですが、ロイ・オービンソンはいま聴いてもモダンですよね。
太田
モダン、モダン。ロイ・オービンソンの一番の価値は、ロック音楽を完成形にした人だと思う。サウンドも、ビートの送り方も、使う楽器も、編成の仕方も。アメリカンロックのエッセンスを集約した。ロックサウンドって何ですか?と聞かれたらロイ・オービンソンを聴かせればよい。ビートルズは、僕はロックとは違うジャンルだと思っていて、次々に曲調も編成も変わっていって、ロックだけには到底収まらないスケールの音楽世界。
デビュー盤とラストアルバムの『アビーロード』では、ホンマに同じバンドかいなって思いますよね。ロイ・オービンソンはわりと最近買われたんですか?
太田
ある時にこの2枚組ベストを見つけ「これはいいかもしれない」と思って買ったら、も~よくてよくて! 僕にとっては大発見だったね。
僕も慌てて聴いたのですが、ロイ・オービンソンはいま聴いてもモダンですよね。
太田
モダン、モダン。ロイ・オービンソンの一番の価値は、ロック音楽を完成形にした人だと思う。サウンドも、ビートの送り方も、使う楽器も、編成の仕方も。アメリカンロックのエッセンスを集約した。ロックサウンドって何ですか?と聞かれたらロイ・オービンソンを聴かせればよい。ビートルズは、僕はロックとは違うジャンルだと思っていて、次々に曲調も編成も変わっていって、ロックだけには到底収まらないスケールの音楽世界。
デビュー盤とラストアルバムの『アビーロード』では、ホンマに同じバンドかいなって思いますよね。ロイ・オービンソンはわりと最近買われたんですか?
太田
うん。3~4年ぐらい前に買ってね。
それは意外ですよね。年代的にはかなり昔の人ですけど。さ~て、最後の一枚、僕が楽しみにしていた『楽しい夕に』についてたっぷりと聞かせてください(笑)。
太田
これはご存じのとおりRCサクセション。彼らがデビュー間もない頃、渋谷ジァン・ジァン(収容人数200人程度の小劇場およびライヴハウス)に出だしたんだよね。友人から「RCっていうバンドがいいから行ってみないか」って誘われて行ったんだけど、聴いた瞬間、心を鷲づかみにされてさ!
やっぱり!!
太田
本当の鷲づかみとはアレのことさ。まずあのサウンドね!彼らは3人なんだけど、その頃のフォークって、生ギターで語るようにポロロンポロロンって愚痴を言ってるようなのが多かったのよ。で、僕が行った時は、前座に(井上)陽水がいて、続いてRCの出番になるんだけど、「バーン!」って始まった瞬間に「ア・ハード・デイズ・ナイト」の出だしと一緒で「ギャイーン!」。髪の毛が逆立った!
へぇ~~~~~~!
太田
彼らは音のバランスをとても気にしてた。とにかく音が強い。その大音量からこつ然と清志郎が歌いだした時は宗教的な啓示を感じた。清志郎ってやや甲高い声じゃない?
そうですね。
太田
「これは日本のオーティス・レディングだ!」と思った。
(興奮しながら)おー、僕も鳥肌立ってきました!
太田
歌い方も、マインドも。要するにソウルというか魂をぶつけて「俺には聞いてもらいたいことがあるんだ!」っていう迫力だよね。歌詞だけでは足りなくて「ガッタ、ガッタ」と突っ込んでゆく迫力。
むぐぐぐ。羨ましい……。
太田
あとで清志郎がオーティスが好きだったことを知るんだけど、むべなるかなと思ったよ。
ホンマそうですよね!
太田
歌だから詩がある。また、その詩で鷲づかみさ(キラキラした目で)。
ですよねぇ(羨ましそうな目で)。
太田
フォークの人の歌詞はしょんべん臭くて嫌だなぁと思ってたのよ。(吉田)拓郎でもそう感じてた。でも、清志郎の詩って他の歌詞と全然違うじゃない?
全然違います!ロックの歌詞で「市営グラウンドの駐車場」なんて、清志郎が使わなければ、きっと今でも誰も使っていないと思います!
太田
その頃は、日本のポップスや音楽は、はなからバカにしてたからね。毎日聴いてるのはボブ・ディランであり、オーティスであり、(ジョン・)コルトレーンであり、第一線ばっかりじゃない?
要するに本物を聴いていると。
太田
ミック・ジャガーしかりね。そう思っている時に出会った清志郎の音楽は海外の第一線と比肩する音楽だった。しかも、歌詞が日本語でしょ。全部わかるわけ。で、一曲終わって、また次の曲が演奏される。それが「またいい」「またいい」の繰り返しでね。
そりゃそうでしょうとも!
太田
子どもの頃の全身耳という感覚がよみがえった!そうするとやっぱり歌も覚えちゃうもんでねぇ。
へぇ~~~~。
太田
それだけ集中して聴いたからね。「これは凄いモノを見つけた」って感じで。レコードで聴いてるディランだのミック・ジャガーだのに匹敵するというか、同じだと思った。
しかも向こうは海外で滅多に生で聴けないけど、清志郎は目の前で歌っているわけですからね。
太田
そうなのよ!清志郎なんて当時まだ子どもみたいなもんなのに、「なんでソウルフルな悲しみが出せるんだろう?」とかね。原くんはわかるよね?
わかりますとも!(鼻をふくらませて)。
太田
これは凄いことだと思って、友人としょっちゅう観に行くようになって。そのうちに待望のLP『初期のRCサクセション』が出たけど、意外にもあまり良くなかった。
曲はいいんですけどね。
太田
あとでいろいろ聞いたら東芝との確執があったようだ。
大人たちにいろいろとアレンジをいじられたみたいですからね。
太田
そうそう。当時、彼らもステージで言ってた。「嬉しいんだけど、ちょっと……」って。俺も「そのとおりだ」と思って始めたのが隠し録音なんだよ。
はいはい!そのお話が聞きたかったんですよ!
太田
ちっちゃいカセットレコーダーを持って。当時だっていけないのはわかってたから風呂敷包んで持ち込んだ(笑)。なんで録音してたかというと、単純にまた聴きたいから。LPとライヴではあまりにもレベルが違うんだ。
ライヴのほうが全然よかったんですよね。
太田
というか、ライヴしかRCの曲を聴くことはできなかったから、録音すれば家に帰ってまた聴けるじゃない?事実何度も聴いたし。RCを教えた僕の友人は楽器ができたから、カセットから採譜してギターコードを付けて、2人で毎晩のように歌ってた。今でも全部ソラで歌えるよ。
そうだったんですか。
太田
そのテープがたくさん残っていて。いま思えば貴重品なんだけどね。
貴重すぎて鼻血が出ます!
太田
ところがご存じのようにライヴがこれだけいいにもかかわらず、RCは売れなくてね。ライヴに来てるのは女の子ばっかりで、このレベルがわかるわけはないと思った。清志郎もそれは言ってた。
直接、ステージで言うんですよね。
太田
「キミたちに僕らの音楽がわかるわけないだろ」って。女の子は喜んで「キャー!」とか言うんだけど、清志郎はウケようとして言ってるんじゃない、本音なんだというのがわかったから、「ここに一人、男がいるぞ!」と言いたくて差し入れしたりしてたんだけどさ(笑)。
僕たち清志郎マニアには有名ですけど、不遇時代のRCを見つめていた青年として、太田さんは忌野清志郎の詩集『十年ゴム消し』に登場するんですよね。黄桜の日本酒を差し入れた、“黄桜の青年”として。クーッ、凄すぎる!
太田
のちに、破廉ケンチ(はれんけんち=初期のRCサクセションのリードギター)さんと会った時、「僕は当時のテープを持ってる」と言ったら「ふ~ん」って。逆に「バンドとしては残してるでしょ?」って聞いたら「全然ない」と。その瞬間これがお宝だとわかってね(笑)。
国宝級ですよ、そんなの!
太田
で、ある時『ロック画報』の編集者がどっから聞いたのか僕のところに来て、「太田さん、昔のRCのテープを持ってるそうですね。その中から未発表のモノを選んで付録のCDにつけたいんですけど」って言うわけさ。
んもう、知ってますよ!『ロック画報』買いましたよ!
太田
で、編集して順番を書いて、曲名も書いて、「余計なことですが、おすすめはこれとこれです」って渡した。それができて3曲入ってたが、僕らが推した曲は入ってなかったのね。
『ロック画報』の付録では6曲が収録されていましたね。その中で未収録曲が「つまらない仕事」「内気な性格」「もっと何とかならないの?」の3曲で、その後レコード化されたものとしては、「ぼくとあの娘」「忙しすぎたから」「ぼくの自転車の後ろに乗りなよ」の3曲があります。
太田
「悲しいことばっかり」とか「ベルおいで」を推したんだけどね。収録されたことは嬉しいけども「名曲はこっちじゃないんだけどなぁ」って思った。それはけっして解釈の相違じゃないんだ。なぜなら1ステージ目、2ステージ目のトリに必ず長く丁寧に演奏してたからね。彼らにとっても扱いのちがう名作という自覚が明らかに感じとれた。その曲が終わるとすべて力尽きたように黙って楽器をはずしていた。
なるほど。
太田
じゃあなんで入らなかったのかちょっと考えたんだが、ひとつは付録なんかで発表するのは勿体ないと清志郎が判断したのではないか。もうひとつは、音楽家はつねに今やっている音楽で評価されたいから、名作でも昔のものを引っぱり出されるのはそれほどうれしいことではないのかもしれない、と。「昔の方がいいね」は芸術家には禁句だからね。引退した人は別だけど。
そうですね。事務所や本人が公認したものではありますけど、やはり過去の作品は過去の作品ですもんね。
太田
そういうふうに僕は納得した。でも、それだけに、いずれは録音して世に出すだろうと待っていたんだが、それはかなわず、清志郎は死んじゃったわけさ。
はい。
太田
あの名曲を録音して再リリースする機会は永遠に失われた。
太田さん所蔵の音源の何が凄いって、「ぼくとあの娘」のフォーク版が収録されていることですよ!(熱くなってドンッとテーブルを叩く)。
太田
あれだけパセティックに強い名唱は滅多にない。それは作曲当時の生々しい心境が反映しているから。それが二度とないライヴの最も貴重なところだよね。
あれをやっと聴けたという喜び! あの曲はのちに『ハートのエース』というアルバムに収録されたんですけど、アレンジが全然ダメですもん。
太田
全くだ。迫力が全然違う。
「汚れた心しかあげられないと あの娘は泣いていた きれいじゃないか」。この美しい詞は、やはりアコギで切々と歌ったもののほうが断然いいです!こんなすばらしい詞を理解できて、本当に日本人に生まれてよかったと思います!もうホントにそこは太田さんの偉大なる業績です!
太田
僕も偉大なる違法行為をやったと思うよ(笑)。
まあでも、今では事務所公認ですから(笑)。それにしてもこの時期の清志郎の作品は異常にすばらしいですよね。
太田
ビリー・ホリディとおんなじで、そもそも音楽の才能を持った人がいる。その人に大変つらい境遇が重なった時に名曲ができるって言ったけれども、それがまさに清志郎じゃない?
まったくそうですね。まさに「ぼくとあの娘」の冒頭、いきなり「あの娘はズベ公で僕はみなしごさ」と歌われていますが、これ、清志郎の出自がそうですもんね。
太田
当時の清志郎は、渋谷ジァン・ジァンにはかろうじて出てはいたけれども、ドンドンドンドン売れなくなっていって、音楽活動もできなくなってきて、下宿にこもって「どうしようかなぁ?」と悩みながらも曲だけは書いていたんだよね。これを聴くと、やっぱり逆境が天才に光というか、インスピレーションを与えることがあるというのは、大いに証明されたと思うな。
まさにそうですよね。

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